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箱根駅伝に出るには?浪人しても出場できる?最年長選手は何歳?

箱根駅伝に出るには?
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お正月の風物詩としてすっかり定着した箱根駅伝では、毎年200人の大学生ランナーが箱根路を駆けます。

この200人という数字を多いと見るか少ないと見るかは人それぞれかもしれませんが、厳しい予選会を勝ち抜かなければならない学校も当然あるので、個人的には狭き門だなと思っています。

さて、この毎年正月に行われる箱根駅伝に出場するには一体どうすればいいのでしょう?

箱根駅伝の中継を見て、「僕も出たい!」と思った箱根ランナーの卵たちに向けて、今回はそのヒントをお伝えしていこうと思います。

 

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目次

箱根駅伝に出るにはどうすればいい?

箱根駅伝に出場する大学は、どこも競技レベルの高い強豪校でもあるため、高校から強豪校に所属していたり、スポーツ推薦などで入学するような選手だったりしなくてはいけないのではないか?と思う方もいるかもしれません。

しかし、そのような条件を満たしていなくても、関東学生陸上競技連盟に加盟する大学陸上競技部や駅伝部に入部し、箱根駅伝を目指すことは、チームによっては可能です。

 

ただし、そこには入部に際しての基準があるケースがほとんどであることを覚えておきましょう

各大学の陸上競技部や駅伝部によって、入部するにあたって一定の基準タイムを突破していることが条件になる形態が多く、その基準タイムは5000mの記録であることが多いように見受けられます。

筆者が中高校生時代に憧れた早稲田大学は、当時入部基準が5000mを15分40秒以内で走ることでした。

そのタイムを切ることが出来ていない間は仮入部という扱いになり、1年生の秋までに15分40秒を切ることが出来れば、正式に入部が認められるという形でした。

 

大学によっては、5000mで15分00秒を切っていることが条件、あるいは切れていない選手は育成チームに組み込まれて、入部基準タイム突破を目指す、という形を取っている所もあります。

これは某大学の主務の方に聞いたことがあるのですが、「5000m14分台の持ち記録でなくても、15分10秒台くらいでモチベーションの高い選手であれば十分入学後に伸びていけるので、あまりタイムにはこだわらない」という声もありました。

 

大学によって入部条件は様々なので、出来れば入試を受ける前に、あらかじめ各大学の陸上競技部へ問い合わせて条件を確認しておくことをお勧めします

筆者も高校時代、まずは早稲田大学に問い合わせて、合宿所の電話番号を教えてもらい、続けて合宿所へ問い合わせた経験があります。

その際、大学の職員と主務の方にはとても丁寧に対応して頂き、主務の方からは「合格発表を見に行きましょうか?」ともお声がけを頂きました。

このように、大学によっては一般入試を経て入部してくる選手を大切にしてくれるチームもありますので、この辺の情報も含めてよく確認しておくことがポイントになると思います。

 

5000m14分台の記録を持っていれば、スポーツ推薦入試で大学に進学することも可能かと思いますが、そうでなくても箱根への道は開けていますので、希望と強い意志を持って進学のための勉強や準備をしましょう!

 

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箱根駅伝は浪人や留年しても出場できる?

箱根駅伝は、浪人して入学した選手、途中で留年した選手も走ることは出来ます

関東学生陸上競技連盟では、箱根駅伝および箱根駅伝予選会で「エントリーが4回未満であれば出走可能」という規定を設けていますが、4回未満であれば学年や年齢は問われません

実際に最近の大会でも、高校卒業後に1年や2年間の浪人生活を経て入学した選手や、入学後に留年した選手が箱根駅伝を走っています。

 

上記の通り、筆者が憧れていた早稲田大学では、特に浪人生活を経た一般入試組の選手が大勢箱根駅伝を走っており、そういった選手の存在は、当時中高生だった私のモチベーションを上げてくれました。

当時の早稲田大学には、渡辺康幸さんをはじめとした日本を代表するクラスの選手がいましたが、私にとってのヒーローは、一般入試組の叩き上げで育ち、箱根を走った選手たちでした。

 

ちなみに最近の選手ですと、青山学院大学の竹石尚人選手が挙げられます。

2018年、2019年と2、3年次に箱根駅伝の山登りの5区を走りましたが、4年生では箱根駅伝を走ることが出来ず、留年して再挑戦したことで話題を呼びました。

竹石選手の場合も、エントリーが上記の2、3年次の2回のみだったため、留年しても参加資格を満たしていたことになります。

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箱根駅伝の最年長選手は何歳?

長い歴史を誇る箱根駅伝の中で、最年長選手として走ったのは、ベルリンオリンピックの5000m、10000mの日本代表でもあった中央大学の村社講平選手(故人)で、33歳と131日でした。

1939年の第20回大会のことで、この時、村社選手は5区を走り見事に区間賞を獲得しています。

ちなみに、当時は年齢や出場回数制限がなかった時代でしたので、村社選手は箱根駅伝に5回出場されています。

 

しかし、第二次大戦後間もない1947年から1992年までの長い間には、出走できるのは27歳以下という年齢制限が設けられていました。

この影響を受けた選手の一人に、現在駒澤大学総監督の大八木弘明さんがいらっしゃいます。

大八木さんは高校卒業後に、小森印刷(現:小森コーポレーション)へ就職。

その後、駒澤大学の夜間部へと入学し、箱根駅伝には1年次だった25歳から3年連続で出場していましたが、最後の4年次は28歳でこの年齢制限の対象となってしまい、走ることが出来ませんでした。

 

1993年に年齢制限が撤廃されてからは、社会人を経て大学生となった選手が箱根駅伝に出場するケースも増えてきました。

最近ですと、駿河台大学で4区を走った今井隆生選手(当時31歳)が記憶に新しいところですね。

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箱根駅伝に出るには?まとめ

これから箱根駅伝を目指す中学生、高校生といった若い方々や、箱根への夢を捨てきれずにいる社会人の方々に、この記事が少しでも参考になれば幸いです。

もちろん、駅伝ファンの方々にも「こういう経歴を持った選手がいるんだな」という見る楽しみに繋がればと思います。

このように、様々な人生が垣間見える、人間ドラマの詰まった箱根駅伝。

毎回新たなドラマや発見がありますので、ぜひ毎年見てみてくださいね!

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