クリスマスが終わると、一気に年の瀬が迫ってきて、「来週にはもう箱根駅伝か~」なんて思っちゃいますよね。
毎年正月の風物詩として見ているご家庭もあれば、なんとなくテレビで流しているだけというご家庭もあるでしょう。
しかし、意外と箱根駅伝の細かいルールについては知らない方が多いんですよね。
みなさんはどうやったら箱根駅伝に出られるか、ご存じでしょうか?
今回は、箱根駅伝にはどんな出場資格があるのか、年齢制限はあるのか、毎年何校が参加するのか、について、ご説明していきたいと思います。
箱根駅伝の参加資格について教えて!
箱根駅伝は関東学生陸上競技連盟(関東学連)という学生団体が主催しています。
ここでいう関東とは、東京・神奈川・千葉・埼玉・茨城・栃木・群馬・山梨を指しており、そのいずれかにある大学で、なおかつ関東学連に登録している大学が参加資格を持っています。
また、あまり気に留めている方は少ないかもしれませんが、箱根駅伝は男子選手しか走ることが出来ません。
開催要項の参加資格の項目にも、下記のような記載があります。
参加校所属の2022年度関東学生陸上競技連盟男子登録者で、本大会並びに箱根駅伝予選会出場回数が通算 4 回未満である者(予選会のみ出場の場合も回数に含まれる)に限る。なお、出場とはエントリーした時点で出場とする。
そのため、関東学連に加盟している大学で男子選手であることが、まず一つ目の条件となります。
続いて出場に制限があるのかというと、こちらも上記要項に記載の通り、あります。
出場の有無にかかわらず、箱根駅伝本大会および箱根駅伝予選会にエントリーされた回数が4回未満の選手に限り、出場することが出来ます。
本大会を一度も走ることが出来なくても、4回エントリーされたら、その選手は次回大会以降に出場する権利がなくなるというわけですね。
そして、最後に国籍についての制限ですが、本大会を見て頂くとわかる通り、外国籍の学生も参加資格があります。
1989年の第65回大会で山梨学院大学が箱根駅伝の歴史上初めてケニアからの留学生ジョセフ・オツオリ選手を2区に起用しました。
「褐色の弾丸」と異名を取ったオツオリ選手の速さに誰もが驚愕し、話題に。
その後は強化の一環として留学生ランナーを迎え入れ、箱根駅伝に臨む大学も増えてきました。
しかしながら、その圧倒的な強さ故か、しばしば留学生ランナーが走ることの是非は議論の的となり、時には各大学への誹謗中傷と繋がることもあったようです。
その結果、2005年10月の箱根駅伝予選会から、留学生は1チームにつき2人までエントリー可能で、出走するのは1人までという規定が設けられ、今日まで続いています。
筆者個人の意見としては、「箱根から世界へ」をテーマとして掲げる駅伝なので、世界で戦うことを目標としている選手たちが留学生と戦うことはとても良い経験に繋がると思っています。
あまり過剰な締め出しは「井の中の蛙」を生むだけのような気もします。
また、山梨学院大学の陸上競技部元監督で同部顧問の上田誠仁さんは、「オツオリ選手等、ケニアからの留学生はハングリー精神が強く、また競技への取り組みも真面目であることから、日本人選手にとってもいい刺激になる」と各インタビューで答えていました。
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箱根駅伝出場資格に年齢制限はあるの?
2022年現在の箱根駅伝には年齢制限はありません。
正確には、1993年の第69回大会以降、年齢制限が撤廃されました。
そのため上記の出場回数が4回未満であれば何歳であっても出場が可能です。
年齢制限が撤廃されたことで、箱根駅伝に出場するという夢を捨てきれず、再びチャンスを掴むため、一旦は就職したものの、大学に入り直す選手もいます。
大学は、中学や高校よりも様々な年齢の方が在籍しています。
1年~2年の浪人生活を経て入学してくる方や、社会人経験を経てから大学に入りなおす方も珍しくありません。
箱根駅伝も例外ではなく、過去に箱根駅伝を走った選手には、一旦は就職したものの、箱根駅伝を走る夢を捨てられずに大学に入学した選手も多くいます。
2022年98回大会では、教員を休職して心理学を学ぶために駿河台大学へ入学した今井隆生選手が、4区を走って話題になったことは、みなさんの記憶にも新しいと思います。
また、筆者が子供の頃に初めてテレビで見た箱根駅伝では、順天堂大学の山田和人選手が印象に残っています。
高校卒業後、自衛隊に入隊しながらも箱根駅伝を走る夢を捨てきれず、2年間アルバイトをして順天堂大学へ入学。
箱根駅伝に4回出走し、優勝のゴールテープも切っています。
「色んな人生を歩んできている選手が走っているんだな」と幼いながらも、山田選手のエピソードを読み上げるアナウンサーの声に耳を傾けていたことを覚えています。
しかしながら、この年齢制限があった時代もありました。
1947年(第23回大会)から1992年(第68回大会)までの間で「出場できる選手は28歳以下であること」と定められていました。
この影響で最後の4年生の箱根駅伝を走ることが出来なかったのが、あの駒澤大学の大八木監督です。
1994年に発刊された「箱根駅伝を10倍おもしろく見る本」(日本テレビ箱根駅伝プロジェクトチーム編集)によると「走るより辛い駅伝だった」と当時を振り返っています。
大八木監督も、一度は社会人として働いていましたが、24歳の時に駒澤大学へ入学していたのです。
箱根駅伝ミュージアムでは、駒沢大学の選手として箱根駅伝を走る大八木監督の若かりし頃の写真を見ることができますよ。
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箱根駅伝の参加校数は?
箱根駅伝に参加できる大学は20校です。
これに予選会で落選した大学から1校1名ずつが選出されて構成される関東学生連合チームを加えて、20大学+1チームが新春の箱根路を走ることが出来ます。
また、例年5回や10回といった節目となる大会の時は、参加枠が3~5校増える傾向にあり、箱根駅伝出場を狙う大学、まだ箱根駅伝に出場していない大学は、この時をチャンスと捉えて狙いを定めている所も多いです。
では、どうやって箱根駅伝に参加する20校に入ることが出来るのかをご説明しましょう。
箱根駅伝を走る大学はシード校と呼ばれる10校と、予選会から勝ち上がる10校で構成されます。
前回大会の箱根駅伝で10位までに入った大学は、シード権と言われる次回大会の箱根駅伝に無条件で参加出来る資格が与えられます。
この10校に加えて、毎年10月に行われる箱根駅伝予選会で上位10位以内(記念大会だと13~15位以内)に入った大学が箱根駅伝を走る資格を得ることが出来ます。
箱根駅伝予選会は1、校につき10~12人の選手がハーフマラソンを走り、上位10人の合計タイムで競う形で行われます。
年によって参加する大学の数は異なりますが、少なくとも40校近い大学が、箱根駅伝出場を目指してスタートラインに立ちます。
予選会の争いは熾烈を極め、どの大学の選手たちも1秒でも速くゴールしてタイムを稼ごうと必死になって走ります。
大学によってはなるべくそれぞれが同じペースで走り、協力し合って走る「集団走」という形を取ったり、エースの選手は出来るだけ先頭の方でレースを進めてタイムを稼ぐ役割があったりと、その戦術は様々です。
開催される季節は10月中旬ということもあり、日によってはまだ暑さが残ったり、逆に雨が降って肌寒かったりと、気象条件が選手たちのペース配分等にも影響を及ぼします。
また予選会のコース終盤で走る国営昭和記念公園は、細かいアップダウンが繰り返されるコースで、15km以降に余力がないと一気に順位が入れ替わるという危険性も持っています。
こうしたタフな条件を乗り越えて走り切った末の合計タイムで箱根駅伝出場権が決まります。
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箱根駅伝出場資格まとめ
幾多の選手たちが駆け抜けてきた箱根駅伝も、先人たちの思いが叶わなかった過去があり、今日に繋がっています。
年齢制限が撤廃されて、ようやく夢をつかんだ選手たちが現れたことで、また一つ箱根駅伝の存在意義が世の中に認められたことになるでしょう。
箱根駅伝に出場することは並大抵のことでは成し遂げられないことです。
新たに箱根駅伝に興味を持ってくださった皆さんも、選手たちの抱えている思いに胸を馳せてみると、より一層選手たちの走りに共感できることと思います。
箱根駅伝は参加する選手の数だけドラマがありますので、ぜひ毎年ご覧になってください。